黒澤明は芸術家になったために失敗した!? 

 黒澤明は世界的な映画監督。なのに、なぜ駄作が多いのか―ずっとそう思い続けてきた。「七人の侍」「羅生門」「生きる」を作った人が、一方で「乱」「影武者」「デルスウザーラ」のような意味不明のものをなぜ作ったのか。永年の疑問が、橋本忍「複眼の映像ー私と黒澤明」で一気に解けた。「黒澤明は芸術家になったために失敗した」のである。

 黒澤明については光の面ばかりで、影の部分を指摘したものに私はお目にかかっていない。それをこの本はものの見事に解析して見せてくれた。実に得るところ多く、今満足感に浸っている。

 著者は兵庫県神崎郡市川町で1918年に生まれた。私の亡母(1917年生まれ)はほぼ隣接した町の人だから、親近感を抱く。しかも、鉄道教習所出身。実は私の母の姉の息子がこの学校の後輩。その彼は三重県名張市に住み、今がんと闘ってる最中。見舞いに訪れ、この本を薦められた。冒頭に、若き日に肺結核のために療養所生活を余儀なくされた頃の苦悩や、師・伊丹万作との出会いと別れが出てくる。「姫路を出た播但線は、西播磨の僻村を市川沿いに北上する」などと描かれ、なにやら我が故郷の風景と似てなくもない車窓を横目に、病魔と闘う従兄弟を思いながら、車中で読み耽った。

 脚本家・橋本忍誕生までの前夜が語られたのち、黒澤明という人間の難しさが易しく説かれゆく。各作品誕生の秘話の紹介がたまらなく魅力を誘う。私の最も好きな黒澤作品である「隠し砦の三悪人」のくだりでの食い物の話が実に面白い。黒澤、菊島隆三、小国英雄らが「本当に旨いものとは、自分たちの子供の時に、成長盛りに無心で、無我夢中で食べ、一番見についたもの、これが一番おいしいのでは?どうだろう?それと同じものを、それぞれ作ってみよう」ということになった、と。その後の記述がもうなんとも味わい深い。

 橋本さんが作ったのは、関西風バラ寿司。実はこれ、我が母の十八番だった。

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