宮沢喜一元首相が亡くなった。
私が当選した平成5年7月は、最後の自民党単独政権の首相としての宮沢さんが降壇し、後衛に退かれた直後であった。したがって、首相・宮沢喜一氏とは直接対峙したことはない。しかし、その後、三回に亘って公的な場で対面をし、言葉を交わしたことがあり、記憶に残っている。その時の議事録を改めて読み直してみた。
一回目は、小渕政権の大蔵相として再登場された時。平成10年12月2日、財政構造改革特別委で質問。二回目は、平成12年9月28日、予算委員会で。三回目が、平成16年11月11日に、憲法調査会の公聴会に元首相として中曽根康弘氏とともに、公述人として出席された時に私が質問をしている。
二回目の時は、IT革命などといったことが派手に取り沙汰された頃で、私が全大臣に対して、HPを個人、政治家として開いている人は手を挙げてください、と尋ねた。その時、事前に調べた結果、6人だけは持っておられた。宮沢さんはその中に入っておられたから、当然手を挙げられるものと思っていたのに、挙げられない。あれっ、おかしいな、と思った私は、「宮沢蔵相のは拝見しましたが、大臣、今、手を挙げられなかったですね」と言った。すると、急に慌てて、「はいっ」といって手を。この仕草はおかしかった。恐らくそんなことどうでもいい、と思っておられたに違いない。
一回目は宮沢さんに対して、未だ若かった私が財政論議を果敢に挑んでいて懐かしい。三回目は、中曽根さんと対比する形で憲法観や公明党の加憲について感想を訊いている。その時、宮沢さんは、9条に偏りすぎた改憲論をたしなめながら、むしろ、今の憲法に取り上げられていない問題について総合的に検討したらどうかと答えられ、「加憲」に期待を寄せられたものである。安全保障観においても、憲法観についても公明党とは比較的近い関係にあったとこちらが勝手に思っていた時期がある。輝ける知性の人逝きて、ますます国会は反知性の集団といわれぬよう、精進したい。
Posted on 07.06.30 by AKAMATSU Masao
Filed under: 赤松正雄のブログ

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