「合併症や偶発症が起これば、もちろん治療には最善を尽くしますが,死に至ることもあり得ます」―3年前、私は虎の門病院の泌尿器科で、腎臓結石の手術を受けた。その際に担当の小松秀樹医師から示された「説明と同意についての原則」と題する文章(同病院では完成したばかりだった)を見たときの少なからざる衝撃は忘れ難い。一緒に説明を聴いた妻ともども一瞬青ざめた。
小松先生との出会いはこうして始まった。その直後から同先生は『慈恵医大青戸病院事件』『医療崩壊』と次々出版。つい先ほどの『医療の限界』に至るまで、手術の合間に旺盛な執筆、講演活動を展開。一貫して、臨床医の立場から病院医療の危機を鋭く追求。警鐘を乱打されている。不思議なご縁で、その流れの中、私は厚生労働省の副大臣に。医療行政のただ中に入ることになった。以来、折りに触れて謦咳に接する機会も。
小松先生は同時に、大変な読書家で、その解説力は並ではない。司馬遼太郎の小説群について「惜しむらくは,死に急いだ若者たちの死生観が見えてこない」との評には、はっとさせられた。一方、森鴎外の『渋江抽斎』に見る死生観を評価しつつ、「日本人の少なからざる部分が、生命は何より尊いものであり、死や障害はあってはならないことだと信じています。一見、筋が通っているようですが、そのために死や障害が不可避なものであっても、自分で引き受けられず、誰かのせいにしたがる」として、これを現代の「甘え」と呼ぶ。「メディアや司法はそれを正当なものとみなし、ときに十分な責任を果たしている医師を攻撃する」と。『医療の限界』は我々が勝手に抱く「不老不死という幻想」を打ち砕いてくれ、ありのままの生命の存在を示してくれて、得難い。
Posted on 07.09.17 by AKAMATSU Masao
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