【ひと口政治コーザ(1)】国家から国民へ、目線の転換。弱くても生きられる時代へ 

 先の参院選に際して各地の講演会で、私は2001年から日本の政治は「個人も国家も強くなければ生きられない」時代に突入した、と述べました。起点になったのは、同年4月26日の小泉首相の誕生と、同年9月11日の米国での同時多発テロ。前者により国内政治は「構造改革」がスタート。市場競争が拡大するなかで、社会保障も公助から自助中心へと重点が移りました。後者により、国際政治はテロとの闘いが浮上。積極的な国際平和協力が一層求められるようになったのです。

 5年余り続いた小泉政権は、当初私が「季節外れの大雪現象」と見立てた通り、汚い自民党政治をしばらくは小泉マジックよろしく隠したものの、雪が融けると一段と汚れた実態が露出。内外に亘る負担増が露わになるなかで、安倍後継政権にバトンタッチされました。

 郵政解散の奇襲で得た衆院の絶対多数議席をバックに、同首相は「美しい国へ」を掲げ、教育改革など懸案の「国家の目線」を強調する政治に邁進しました。小泉・安倍政権の行き過ぎをチェックする防波堤の役割を任じた公明党でしたが、十分な対応をしきれぬまま、安倍首相の自爆テロ的退任をまねいてしまいました。

 緊急避難的に登場した福田首相は、伝統的な自民党の自己防衛反応のなせる業も手伝って、「国民の目線」を強調せざるをえない宿命を背負っています。自公政権8年余にしてようやく公明党の主張と多くの面で一致するリーダーの誕生です。国内政治における共助の導入やら外交面でのアジア重視など「国家も個人も弱くても生きられる」時代を作るべく、その行動力の発揮が強く求められているといえます。

 「国民の生活が第一」が民主党の看板。次を狙う野党第一党としてわざとらしさが漂うとはいえ、当たり前のことでしょう。しかし、この党は、小沢代表自身が政権担当能力を疑問視するひ弱さ、非現実性がかくせません。これから三回にわたって、”政治の今と公明党”を説きます。

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