国語教育こそ「愛国教育」である。倫理の領域に踏み込む「道徳教育」は教室になじまない。学校に過剰なサービスを期待してはならない―山崎正和『文明としての教育』が出版されたと知ってすぐに読んだ。急いで求めたのはわけがある。本年正月三日に、産経新聞「正論」に加地伸行大阪大学名誉教授が、中央教育審議会会長としての山崎さんの道徳教育不要論に対して「愚かな話である」とし、孔子の話を引いたうえで「古典のこうした知恵も知らない者が教育を主導するのであるから、我が国の道徳教育の前途はまことに困難であり、不幸である」と辛らつに批判。論争を挑んでいたかに思えたので、反論を心待ちにしていた。
山崎批判についてはこれだけではない。すでに昨年末に市村眞一京大名誉教授、2月4日には西沢潤首都大学東京学長などもそれぞれ加わって(いずれも「正論」で)おり、さながら山崎包囲網が敷かれた感がする。
山崎さんは、道徳教育から遵法教育を切り離し、人の内面にかかわる倫理は教えるべきではないとする。「食物のタブーなどと同様、論じることも難しければ、合理的に変えることも不可能な問題をいくつも含んでいて、学校の先生たちが全国一律に子供を教えることははなはだ困難である」と、当然ながら全くひるむ様子はない。
もっとも、この論争は、この本ではほんの脇役。文明の近代化の歴史と、その中での日本の位置づけを「教育」という切り口で縦横に論じており、それこそがこの本の眼目である。こだわるようだが、道徳教育のあり方をめぐっては、山崎さんには売られたケンカを買ってほしい気がするのだが、どうだろうか。
Posted on 08.02.22 by AKAMATSU Masao
Filed under: 赤松正雄の読書録ブログ

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