前回とりあげた山崎正和さんと対をなす作家といえば、丸谷才一さん。お二人の対談は尽くせぬ知的刺激を与えてくれていつも嵌ってしまう。その丸谷さんが先日朝日新聞文化欄に書いた『書評文化守るために』を読んだ。「書評の掲載が遅いので、本の売れ行きに影響が及ばない」との出版界の不満に対する回答が興味を曳いた。「英米では、出版約二ヶ月前にリーディング・ブルーフ(書評用仮綴じ本)を書評の媒体に送るのが慣例」だとの指摘は、なるほどと思わせる。本が出てから書評子が読んでいる現状では、どうしても時間がかかる。それを避けようとすると、粗製濫造の悪弊に陥りがちだから、というわけだろう。
日本の書評を価値あるものにしたのは「週刊朝日」の「週刊図書館」を嚆矢とする。その担い手として、また今評判の高い毎日新聞の書評担当としての丸谷氏を高く評価する私にとって、『作家の値打ち』で丸谷さんや山崎さんをこき下ろした福田和也氏(慶大教授)は理解し難い存在だ。ただし、同氏の『悪の読書術』などに見る作家の値踏みは、前掲書よりは穏健なもので大いに参考になる。「須賀敦子はなぜアッパーか」「問答無用の白洲正子」「目指すなら塩野七生」「江國香織は天才である」など惹き付けられた。どういうわけか、おおむね女性作家の見方に私は共感を覚えた。
私は彼の思想向きと顔つきのアンバランスにずっと違和感を覚えてきた。文中に「現代の書き手の中にも、美男子もいれば不細工もいます。私などは後者の代表選手ということになるのでしょう・・・。顔と文章が一致しているかどうかは、少し考えさせてください」とあり、思わずほくそ笑んだ。不細工というのではない。文章と顔のもたらす雰囲気が全く違うのだ、と言う事をご自身分かっておられるようで、少々安心をしたしだい。
Posted on 08.03.19 by AKAMATSU Masao
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