4月29日は昭和の日。かつての昭和天皇の誕生日。かなり前に出版された岩見隆夫『陛下の御質問』を改めて読んだ。「昭和天皇と戦後政治」が副題。数々のエピソードが満載されていて実に面白い。
戦後はじめて日本が迎えた中国の要人は30年前の鄧小平。この時の会見で、天皇は鄧の顔を見るなり「わが国はお国に対して、数々の不都合なことをして迷惑をかけ、心から遺憾に思います。ひとえに私の責任です」と謝罪の気持ちをこめて語りかけた。その場で見ていた入江相政侍従長は「鄧小平さんはとたんに電気にかけられたようになって言葉がでなかった」と。迫力ある話だ。
「文化勲章は貧しい者に」との話も興味深い。砂防工学の権威で兵庫・豊岡出身の赤木正雄氏。この人は砂防会館前に銅像が建つほどで、内務省の役人でありながら予算取りの名人であった。その赤木が文化勲章の受章者候補にあがったが、天皇は「文化勲章というのは、家が貧しくて、研究費も足りない。にもかかわらず生涯を文化や科学技術発展のために尽くした。そういう者を表彰するのが本来のやり方と違うのか」と述べたため、首相・田中角栄もあっさり取り下げた。
実はこの話、最新の昭和天皇本である松本健一『畏るべき昭和天皇』にも登場する。松本健一は、このエピソードを通じて「日本人が天皇にいだく切なる思い、つまり天皇だけは『常なる心』の人であってほしい、という日本人の幻想に答えようとする行為であった」とする。松本のものは、深みで群を抜く。明治の絶対主義的な専制君主システムの破綻に直面した昭和天皇は、原敬や山縣有朋、大山巌、山本権兵衛らが傍にいた明治天皇と違い、昭和史のなかで、”たった一人のたたかい”をたたかわざるをえなかった、と。明治のシステムを作ったのは「西郷隆盛、伊藤博文、井上毅や乃木希典であって明治天皇ではない」という松本は、たった一人でのたたかい振りゆえにこそ、「昭和天皇に『畏るべき』という形容詞をつけた」と。学ぶべきことのあまりの多さに当方は畏まるのみ。
Posted on 08.05.01 by AKAMATSU Masao
Filed under: 赤松正雄の読書録ブログ

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