17日間にわたり世界の耳目を独占したかにみえる北京五輪もようやく幕を閉じた。開幕式や閉幕式をめぐり様々な批判がかまびすしいが、私は素直に感動した。なかなか中国もやるじゃないか、と。根がまっとうだからだろう(騙されやすいということと同義かも)。競技の周辺で強い感銘を受けたのは、シンクロナイズドスイミングで中国のチームをコーチした元日本チームの監督の言葉である。「国がどうこうではなく、日本の力を世界に伝えるには外国チームを強化して名を挙げるしかない」との趣旨だったと記憶する。
そんな喧騒のなか、中国人の手になる初の芥川賞として話題の楊逸『時が滲む朝』を読んだ。天安門事件の渦中にあった学生が後に日本に渡ってくるといった筋立てから多くを期待したが、残念ながら伝わってくるものが殆どなかった。こちらの感受性が痛んでるのかと、内心懸念しないでもなかったが、選考委員たちもかなり辛らつな批評をしており、ほっとした。もっともっと鋭く抉ってくれねば。これでは、五輪開催のご祝儀授賞ではないかとさえ勘ぐりたくなる。
これに比して、大変に面白く読んだのは遠藤誉『中国動漫新人類』だ。前半はかなり繰り返しがしつこく辟易しないでもなかったが、後半は息を呑む面白さだった。日本のアニメが中国で猛烈に受けてるとの情報は既に接触していたが、本書でその全貌を知るに至った。結果として今、知的充足感に浸っている。90年代半ばから反日教育を展開した、「江沢民の13年間」とよばれる時代に青年期を過ごした中国の青年たち。ところが同時に、日本のアニメや漫画を通じて強い日本への好感。これらの二律背反ともいうべき事態がなぜ起こってきたか。これを微に入り細に亘って著者は読者に提示してくれ小気味いい。「主文化とサブカルチャーの間のダブルスタンダード」と位置づける著者の分析は豊富な取材に裏付けられているだけに説得力がある。
これまでの日本における中国論評はその立場によって、二分化されすぎてきた嫌いがあるが、この書は趣を異にしている。親中派も嫌中派もひとたび冷静になる必要を感じさせるに十分な力がある。
Posted on 08.08.27 by AKAMATSU Masao
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