生命とは何なのか―若き日よりの私の関心事である。先に『生物と無生物のあいだ』を手にし、注目していた福岡伸一氏の『動的平衡』を読み、大いに刺激を受けた。ただし、面白かったのは最終章の「生命は分子の『淀み』」だけと言うのが正確なところで、あとはあまり曳き付けられたとは言い難い。しかし、それは当方の読解力のなさのせいであろう。
私たちの今は、「遺伝子が特許化され、ES細胞が再生医療の切り札だと喧伝されるバイオテクノロジー全盛期の真っ只中にある」といえ、その事態を招いた出発点には、生命現象はすべて機械論的に説明可能だと考えたデカルト主義者たちがいる。70年代後半からバイオテクノロジーが加熱した背景にその存在は無視できない。著者は、結果として「生命を解体し、部品を交換し、発生を操作し、場合によっては商品化さえ行う」ことになった現在を憂えている。「効率的な臓器移植を推進するために死の定義が前倒しされ、ES細胞確立の激しい先陣争いが繰り広げられることが、果たして私たちの未来を幸福なものにしてくれるのだろうか」と。
ちょうど衆議院で臓器移植法案の改正案審議が行われている間に並行して読んだこともあり、印象深いものになった。生命とは何か、との問いに対して「動的な平衡状態にあるシステムである」と答えている。要するに、「動きながら常に分解と再生を繰り返し、自分を作り替えている」存在だという。私たちの生命を構成している分子は、プラモデルのような静的なパーツではなく、例外なく絶え間ない分解と再構成のダイナミズムの中にあ」り、「個体は、感覚としては外界と隔てられた実体として存在するように思える。しかし、ミクロのレベルでは、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい『淀み』でしかない」との定義づけは実に魅惑的だ。
かつて、優れた宗教が直感的に掴んだものの正しさを、自然科学が後から証明するのだとの指摘を興味深く聴いたことがある。今この本を読んで、まさにその指摘の的確さを実感する。
臓器移植に延命医療をかけることの不確かさを著者は指摘しながら、「動的な平衡系としての生命を機械論的に操作するという営為の不可能性を証明しているように、私には思えてならない」との記述は、科学者としてきわめて真摯な態度だと思う。私には動的な平衡系としての生命に躍動感を与える操作としてのリズムの大事さを痛感するしだいである。
Posted on 09.06.20 by AKAMATSU Masao
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