東京都議選に目黒区から出馬する予定の斉藤やすひろ候補を支援する塾員フォーラムに出席した。その際に斉藤候補が挨拶のなかで、塾の創設者・福沢諭吉がかつて東京府議会と言っていた頃に議員であったことを紹介し、その後継たることを誇りに思うと述べていたのがきわめて印象に残った。その事実については、このほど読み終えた、青山やすし『痛恨の江戸東京史』に詳しい。福沢が今の都議会議員であったということは意外に知られていないのではないか。
その選挙は明治11年12月に実施された。有権者は、満20歳以上の男子で地租5円以上を納めているものとなっており、かなりの高額所得者であったと思われる。東京府民の1.4%、1万3千人だけが有権者で、しかも立候補制ではなかったので、今の都議会議員選挙とは全く比較にならない。当時44歳であった福沢は言論界のリーダーとして推薦され、定数3の芝区で200票を獲得してトップ当選したとされる。
議員になることを「迷いに迷い、逡巡した挙句、出席率が悪いかもしれないということを予め断ったうえで」受諾したという。当選後に定数49人の中で、副議長に選ばれるが、辞退をし、やがて1年後には議員をも辞職することになる。殆ど踵を接して東京学士会院の会長に選ばれてしまい、多忙をきわめたことが理由だが、あまり政治に関心をもてなかったのに違いない。日本初の総選挙はそれから13年後に行われるが、当然出馬をしたりしていない。こうしたエピソードを元東京都副知事の青山さんは、一つひとつ掘り起こして楽しく読ませる。
東京都議選のさなかに、東京と姫路を往復しながら読むに相応しい本だと痛感した。幕末期の記述で、「徳川慶喜とか松平容保とか、武士社会の本流の人たちの立ち居振る舞いが見苦しかったのに対して、多摩の農民のほうが、よほど武士道を貫く一生であり、最期だった」として近藤勇や土方歳三らを賞賛している。立ち居振る舞いが見苦しい世襲政治家と比べて見事だ言われる存在があるのかどうか、じっくりと見極める必要がありそうだ。
Posted on 09.06.27 by AKAMATSU Masao
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