2年ほど前に、内田樹『私家版・ユダヤ文化論』を読んで、「なぜユダヤ人は迫害されるのかとのミステリアスな問い」との見出しで、さっぱり分からないと嘆くばかりの読書論を書いた。その内田さんが今度は『日本辺境論』を出版された。養老孟司さんによる「これ以降、私たちの日本人論は本書抜きでは語られないだろう」との絶賛文つきの話題作だ。あとがきに、この本のタイトルは「私家版・日本文化論」でも良かったと書いているように、二冊合わせて「内田版・日本人とユダヤ人」になっている。日本人論が大好きな私は、かつて公明新聞記者時代に、識者に日本人論を書いてもらう企画をたて原稿取りに歩いた。岡本太郎さん始めいろんな人に会ったのは懐かしい思い出だ。そんな私が掛け値なしにこれまで読んだもののなかで、最も面白い日本人論だといえる。
「他国との比較を通じてしか自国のめざす国家像を描けない。国家戦略を語れない」のが日本人のきわだった国民性格で、「侵略相手の国民にさえ、空気の共有や場の親密性を求めてしまう」―などと指摘され、なるほどと納得し、それらが畢竟「辺境人」であることに端を発しているとの議論の展開にうなる。その辺境人の本質は、日本語と共にあるとの指摘はかなり痺れる。「外来のものが正統に地位を占め、土着のものが隷属的な地位に退く」―漢字(真名)と仮名の関係を説きほどいた最終章は圧巻だ。
「韓国でもベトナムでも、母語しかできない人にはしだいに大学のポストがなくなりつつあります」が、「その中で、日本だけが例外的に、土着語だけしか使用できない人間でも大学教授になれ、政治家になれ、官僚になれ」るのは、「世界的にはきわめて例外的」だとの指摘は息を呑む。それは何故なのか。ユダヤ人論とはまた違った意味でのミステリアスな問いかけの連続もあって、一気に読ませた。
Posted on 09.12.12 by AKAMATSU Masao
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