![]()
鳩山首相の演説は「いのちを、守りたい。いのちを守りたいと、願うのです」で始まり、先の阪神淡路の震災15年の追悼式典における被災者の挨拶を大幅に引用しつつ、「いのちを守りたい」で終わるといった、かなり情緒的な異例の演説であった。公明党も先の衆院選でのマニフェストに「いのちを守る政治」と掲げだけに、そのことに異論はない。しかし、母親から毎月千五百万円贈与されながら、一切知らなかったで押し通そうとしたり、亡くなった方々からの大量の政治献金疑惑など、おカネをめぐって首相自身への信頼が大きく揺らいでいる時に、こういう演説をいくらされても、空しいとの思いは募るばかり。まさに、論語にいう「巧言令色、鮮なきかな仁」を地でゆくようなものであった。
演説の最後の方で、自身の不始末についてようやく触れ、「あらためてお詫び申し上げます」といいつつも、「今後、政治資金のあり方が、国民の皆様から見て、より透明で信頼できるようものとなるよう、企業・団体献金の取り扱いを含め、開かれた議論を行ってまいります」などと、他人事のような言い回しを相変わらず繰り返していたのにはあらためて失望した。
まして小沢氏の陸山会については一切言及なし。ガンジーの慰霊碑に刻まれた「七つの社会的大罪」を披露し、「理念なき政治」以下の指摘が今に通用するなどと言うのもいいが、ご自身や小沢幹事長のしでかしたことへの、いのちの底からの反省の弁がもっと聴きたかった。阪神淡路の大震災後において、「みんなが力を合わせ、人のため、社会のために努力した」ことを称え、それが「いのちを守るための『新しい公共』」の出発点だったのかもしれない」と強調され、演説の基調とされた。地元の人間としては、あり難いと思わないでもないが、なんだか政治の責任を公共という世の中一般に転嫁する甘い演説といわざるを得ず、座りが悪い結論であった。
Posted on 10.01.29 by AKAMATSU Masao
Filed under: 赤松正雄のブログ

Leave a Reply