「生命が結び合う世界」はどこにあるか

 ほぼ同世代と言っていい私のブログのある読者と昨年末に話す機会があった。青春を学生運動にかけて過ごしたという彼と、日本の政治や公明党の今と未来を語り合うことは厳しくも実りあるものであった。別れ際に、内山節『怯(おび)えの時代』を頂いた。「『不安』どころではない未曾有の時代は、なぜ到来したのか?」との問いかけが、この本を作った人たち(著者や出版社)の意識の底にある。読み終えての答えは、「生命が結び合う世界がなくなったから」というところにあるように思われる。

 著者は「ひとつの普遍的な思想によって世界を統合していくという発想自体」が「資本主義と市民社会、国民国家による三位一体の体制を成立させ、その成立が今日の破綻を生み出している」として、「大きな物語」の必要性を否定している。そして今直面している「劣化の連鎖」から抜け出すために、「連帯」を掲げ、生命と生命の結び合い、助け合い、支えあいの必要性を訴える。

 60年代に大学で学び、創価学会学生部員としての生活を送った私にとって、「人間革命」という言葉の響きほど、時代の向かい行く方向性を根源的に捉えたものはないように思われた。資本主義へのアンチテーゼとしての社会主義革命には、私には破壊への誘(いざな)いはあっても建設の期待は皆無であると思えた。すべては人間そのものへの透徹した分析に源を発する仏法哲学から始まる、との熱い思いを持って走った遠い日々が今に蘇る。当時から社会変革に向けての「大きな物語」ではなく、人間変革に向けての「大きな物語」が必要というのが私の確信であった。その思いは一段と強まっている。

 著者がなくなったという「生命が結び合う世界」。確かに日本社会全般を見渡した時に見つけ難いのかもしれない。だが、私の周りには存在するとの思いは強い。「怯え」を跳ね飛ばすパワーの発動が今ほど待たれている時はないのに違いない。

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