翻訳家としてのデビューと期待はずれと

 意外だった。北朝鮮に拉致され、彼の地で幽閉されること24年。その被害者の手になる本だからさぞかし怨念と憎悪で貫かれた本だろうと思い込んでいた。ある種怖いもの見たさといえようか。しかし、そこには殆どそういったものは発見できなかった。蓮池薫『半島へ、ふたたび』を読んで、肩透かしの感が強い。

 朝鮮半島の山野の色をふたたび見て「恐怖と絶望の色だった。悪夢のようだった。いや、悪夢でもそれが夢で終わるなら、どんなによかっただろう。夢なら、いつかは醒めてくれるのだから」―出だしはこういった調子で始まる。が、しかし、全編を通じて、まさに数えるほどしか、こういった北朝鮮にまつわる記述はない。恐らくは、未だ帰らぬ拉致被害者のことを思い、北朝鮮に対していらぬ摩擦を起こすまいとの自制心を利かせておられるものと思う。北朝鮮での生活ぶりを期待する向きには明らかに失望する。この本はむしろ、北朝鮮に幽閉された人の“韓国訪問記”であり、また翻訳家として人生の再スタートを切ろうとしている“遅れてきたる青春記”と読める。

 それはそれでまことに読み応えがあった。大変な経験をしながらも暗い気分に飲み込まれずに、遅れた青春を取りもどうとする蓮池さんの前向きの姿勢は好感がもてる。ただ、そんな中でも、北朝鮮の実相を垣間見れるくだりもあり、そこは興味深い。例えば、日本人は顔を洗うに際して、顔以外の部分はあまり洗わないが、北朝鮮の人は首筋まで念入りに洗うという比較をしたくだりがある。日本人は不潔だとのニュアンスで言う相手に対して、「日本人は毎日お風呂に入るから洗面する時にわざわざ洗う必要はない」と言い返したという。「大事については言いたいことも言えない立場だったから、こんな瑣末なことで普段の鬱憤晴らしをするしかなかった」と。いつの日か、北朝鮮の日々を赤裸々に語って欲しいと思う。果たしてそういう日はくるのかどうか。

Leave a Reply