新幹線車中で、久方ぶりに涙が留めなくでる羽目になった。浅田次郎『終わらざる夏』の下巻、それもほぼ終わりに近いところで。学童疎開先の信州から親に会いたい一念で逃げてきた6年女子と4年男子の二人。苦難の道すがら偶然知り合った博徒との珍道中。挙句の果てに親子再会。この場面ともかく泣けて仕方なく、あたりを気にしつつ頁を繰った。
昭和20年8月15日―終戦の日。しかしそれから約10日間。戦闘は終わらなかった。どこで?いわゆる北方4島の遥か先、千島列島の最先端にある占守島が舞台。相手は米国ならぬソ連。日ソ不可侵条約を反故にし、襲い掛かってきたのは北方の熊だった。この小説は著者が着想から30年温め続けてきた。奥行きの深さと構想の重さが伝わってくる。
戦争を憎み平和をあくなく求め続ける浅田次郎さんの「人間の本質に迫る戦争巨編」という謳い文句だが、いささか構想倒れではないかと思われることは指摘せざるを得ない。前半しっかりと広げたのはいいが、後半はその決着もそこそこに、脱兎のごとく端折った感が否めないのである。もう少し、戦闘場面を書き込んでもらいたかったし、最末尾のヘンリー・ミラーの詩も唐突すぎる気がする。
ではあるものの、この本が持つインパクトは喩えようもなく大きい。ソ連はこの“終わらざる夏”以降、北の日本の島々から出て行こうとしないし、そして南の沖縄は米国から返還されてはいるものの、実質的には占領下と変わらぬ側面も。改めて戦争は終わっていない、あの夏は未だ続いているとの思いが我が胸に深く漂うのをいかんともし難い。
Posted on 10.08.07 by AKAMATSU Masao
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